何もかも表面的
「目的が何か」が、判らないバカ?
要求精度が高過ぎると思い込まされていたが
- 洗濯機を回せば洗濯
- 洗えば食器洗い
- 掃除機をかければ掃除
DV加害者のやることは全てその調子だった。洗ったり拭いたりすることの『目的』は『汚れを落としてきれいにすること』ではないのか?
あるとき「拭いても汚れが落ちていなければ、拭いたことにならない」と言ったことがあった。汚れに我慢がならなかったからだ*1。
「文句ばかり言う」
「そういうことを言うと苛々する」
「拭いたから、もういいんだ」
はぁ?!と唖然とした。
もうこれは『手を抜く』というレベルではない。
やりさえすればいいのだ。
『目的』さえ見失なっている、究極のバカだった*2。
何もかも表面的
友人知人とのつきあい、親戚づきあいも、全てそのパターンだった。心が全くこもっていないうえに、どういう目的で・どういう気持ちで行なうことなのか、全く考えていなかった*3。
カッコづけだけの人生
奇しくも私の友人が言ったように「格好がつくか、つかないか」だけが人生の目的のようだった。たぶん私は、生まれて初めてこんな生物を見たと思う。こんな生物が存在することすら念頭になかった。DV加害者の一族は皆そうだったが、『目的』や『なかみ』なんか、どうでもいいのだ。
- (N響が好きなのではなく)N響を聴いていれば文化人
- (読書や調べ物が好きなのではなく)岩波文庫を読んでいれば賢い
- スーツ・Yシャツ・ネクタイなら、きちんとした格好
- 鮨・鰻・すき焼なら御馳走
- 嘘で塗り固めていても、つきあいがあれば友だち etc. etc.
恥ずかしい話しだが、ティーンエイジャーのころ、見栄を張って背伸びをして、そんな行動をしたこともある。でも、いい歳をした、社会人経験も長い大人なのだ。
なんて虚しい人生なんだろう。
そういう価値観に迎合して生きてゆくのは、死んでも嫌だった。ひとりで野たれ死ぬほうが、まだましだった。
<早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DVモラハラあるある #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発
*1:それでいて、私がやると、水道代電気代洗剤代等々を理由にして『文句を言う」のが常だった。落としどころ・すりあわせ・歩み寄り、といった方法は、一切通用しなかった。折れて我慢する以外なかったのだ。
*2:今でも、この脳みその構造については、理解ができない。
*3:友人は一人もいなかったし、のちに友人と呼んでいた人々は、全て私の友人を乗っ取ったものだった。親戚づきあいも同様で、DV加害者側の親戚には会ったこともなければ、普段のつきあいもなかった。以前に書いたように、『お体裁を整えるだけの』年賀状のやりとりだけだった。私の甥や姪が合格したときも、お祝いを一切せず、実家の者たちを怒らせたが、それを言ってもポカーンとしているだけだった。私の父への御香典を一円も出さなかった下地は、もう既にできていたと言える。