早く気づいて・早く逃げて

DVモラハラからの脱出の経緯について書いています。

自他の未分化

DVモラハラ男の脳みそは三歳児以下説

三歳児でさえ持てる思いやり

自分=他者の脳構造

乳幼児は、自分=他者で、自分と他者の区別がついていないのですが、三歳児くらいになると

自分 ≠ 他者

主体・客体の観念が持ててきます*1。これを「自他の分化」といい、「社会性の始まり」です。

しんどそうにしたら、お子さんが「大丈夫」って言ってくれたと、子育て中のお母さんに聞いたことがあります。

自他が未分化なのか?

DVモラハラ男は、この三歳児でさえ持つ「自分≠他者」が持てず、「主体=客体」のまま、「社会性」が身についていないと言えます。

自分 = 他者

のまま大人になっている、怖ろしい状態です。だから、

ひとの気持ちが全くわからない

  • 自分がいいと思えば、ひともいい
  • 自分が終わったと思っていれば、ひとも終わったと思っている
  • 自分が汚いと思わなければ、汚いと思うほうがおかしい
  • 自分が正しいと思うことを、正しいと思わないほうが悪い
  • 断わりもなく、ひとの物を勝手に使う
  • ひとのお金も自分のお金も一緒

etc.の齟齬が、日々生じます。

外ではガマンしているので

うちを一歩出た外では、とにかくガマンしているのでしょう。社会性が持てないぶん、上下・支配被支配の観念で生きているので、勤務先の上司など、とにかく上の者には絶対服従です。そのぶん、一歩うちに入れば無法地帯、やりたい放題になります。本物の社会性が持てずに、そんなふうに育って、そんなふうに学習してしまったのでしょうか。ガマンのない、やりたい放題は、全て「うちの」「妻子たち」に向かいます。意見の押し付けはたまったものではありませんが、本人はそれを「当然」と思って生きています。

親しい友だちや親戚がいないのは、対等な関係にも上下を持ち込むので、逃げ出した妻子と同様に、みな距離を取ってしまうからでしょうか。とにかく長期的に保たれている関係は皆無でした。

この説の裏づけ

そもそもは「汚くしないでほしい」と頼んだことから始まりました。「汚くない」「汚いと思うほうがおかしい」と怒鳴り始め、こいつは自分が汚くなければ、ひとも汚くないのかと愕然としたところから、ひとにはひとの考えがある、という当たり前のことが判っていないのではないかと思いました。そういえば、話し合いがちっとも進まず、いつまで経っても平行線で、諦めるか・押し切られるかが常だったことも考えました。譲るとか、すりあわせるとかなどの観念がちっとも通じないので、話しにならなくて困っていたのです。

「境界線(バウンダリー)」の観念が無く、プライバシーもへったくれもなく勝手に踏み込まれて、非常に嫌な思いをしました。お金や物も、管理や所有があいまいで、とても嫌でしたが、いくら言っても判りません。

それから色々と調べて、発達課題のうちの「自他の分化=主体vs客体=社会性」にたどりつき、この説に至りました。

<早く気づいて・早く逃げて>
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*1:これは発達の課題なので、詳しくは教育心理学発達心理学を調べてみてください。