断捨離できるまで
あんな奴に捨てられるくらいなら
どうしても身ひとつで脱出できなくて
逃亡して、かくまっていただき、ほっとひと息つけたのはよかったのだけれど、どうしてもそのまま身ひとつで脱出する気にはなれなかった。大切にしてきた品々は、これまでの私の人生の集大成のような気がして、身が切られるような思いがした。
支援者さんの一人は、モノに執着が無いと言う。彼女の執着の無さがうらやましかった。カウンセラさんは、私には子どもがないから、これまでに働いて揃えて大切にしてきたモノが唯一なのだろう、と言ってらした。
支援者のなかには「捨てなさい全部」と命令するひとがいて、とても嫌だった。後で判るのだけれど、自治体の専門の職員にも〝二次被害〟を与える者もいる。支援者だからといって、全員が全員、傷ついた被害者に寄り添える訳ではないのだ。これまでの経験とか、支援者としての教育の受けかたとか、本人の資質とか、様々なものが絡んでいるのだろう。
悪いひとではないとは思ったが、最後まで好きになれなかった。ご本人は忘れているのだろうか、気にもせず話しかけてきたが、どうしても嫌いだった。憎しみしか持てなかった。〝これまでの私の人生を全否定するひと〟という烙印を押してしまったのだろう。
被害者の人生はそれぞれで、全員が全員、事情も背景も違う。ワンパターンのマニュアルどおりに対処しても、うまくいくわけがないよい例だ。
何故そんなに大切なのか
自問自答の日々が始まる。
かくまっていただいている間じゅう、奴が腹いせで捨ててしまっているのではないかと*1、心配で心配で、危険を冒して確認しに戻ったことがあった。
結局、諦めたモノも多かったのだけれど、〝あんな奴に捨てられるくらいなら〟の執念で、大切なものは殆どを運んで脱出した*2。
※ 本当に断捨離できるまで一年かかった
そのころは私に断捨離ができるとは、思ってもいなかった。
20160705
<早く気づいて・早く逃げて>
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