お金、返して
父への香典も出さず
父は急逝だったので
とるものもとりあえず駆けつけた
お通夜、その次の日の告別式と、慌しく続いた。とるものもとりあえず駆けつけたのもあって、近くのコンビニから下ろせる口座から、香典から何から諸費用を出しておいた。兄弟は喪主、私らは親族筆頭だった。最もメインの位置で、最高の供物を出す立場だった。父の交友関係、弟の仕事関係もあり、華やかな式になった。来客も数百人を数えたろう。香典も供物も何もかも全て、もちろんDVモラハラ夫の名義でだ。
その数十万円を、一円も出さずにバックレた。返そうともしなかった、自分の名義で出されたにも関わらず。
奴の名前でなく、私の名前でなら、そんなに出さなくてもいい。親族筆頭の立場に立たなくてもいい。「家と家との付き合い」というものを一切知らないようだった、五十男にもなって。しかも、さらに義父母からも義兄弟からも、香典はおろか弔電さえ来なかった。DVモラハラ夫は連絡すらしてなかったのではないか?それとも義父母も義兄弟も揃ってバックレたか・・。どいつもこいつも親が親なら子も子だった。何が一流商社マンだ。冠婚葬祭ひとつできず、息子たちに「お付き合い」も教えず、一流商社マンが聞いてあきれる。
この仕打ちは堪えた。
心情的にも、人間ではないと思った。
物理的にも、この数十万円で、私自身が身動き取れなくなった。なけなしだったのだ。
今も怒りがふつふつと込み上げる。
ただでさえ酷い経済DVで、医者に行く費用にも事欠く生活だったのだ。逃げる資金が全く無くなっただけでなく、今も続く困窮に拍車をかけた。備えが皆無になってしまったのだった。
私の家財道具も
弁護士さんのアドヴァイスで
こういうドケチは
どのツラ下げて、私の持って行った家財道具を、今も平気で使えているのか。
弁護士さんは、こういうドケチは、ひとのものも自分のものもないから、いま使っているものを持って行ったら、ストーカー化して追いかけてくる、と言った。大切にしてきた私のものなのに・・と忸怩たるものがあった。今も慙愧に堪えない。ストーカー化されるよりマシ、という断腸の思いで諦めて、置いて、脱出してきた。追いかけられない私物だけを持って・・。
恥知らず恩知らず ここに極まれり
家財道具も家電もなく、今も続く困窮生活を送っていると、今でもふつふつと怒りが込み上げてくる。〝怒りも口惜しさも手放すのが自分のため〟と理解はしているが、手放す前に、諦め、抑圧してきた感情を開放してやらなければ、抑圧がそのままトラウマとして閉じ込められてしまう。
悪口は美しくない。
けれど私たちは、どこかでこうした感情を開放しないと、先に進めないのだ。
こうしたブログとTwitterを、そのツールとして活用させてもらっている。
<早く気づいて・早く逃げて>
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