早く気づいて・早く逃げて

DVモラハラからの脱出の経緯について書いています。

経済DVの後遺症は

経済DVと生活制限

生活制限も立派なDV

  • 食事制限
  • 入浴制限
  • 洗濯制限

などなど、生活に関わる行動を制限されることを言います。これは虐待です。例えば、

・キッチンで自分の食事を作っていると怒鳴り込んでくる

・入浴していると、洗面所のドアをガンガン蹴りまくる*1

・洗濯をすると、電気代・水道代についてネチネチ文句をつける置き手紙を、毎日のように置いてゆく

・医療費や生活費について、細かくネチネチ言う置き手紙が常にある

DV加害者本人は「節約」の御旗を立て、当然のように要求してきました。内実はずいぶん悲惨なものでしたが、加害者本人は〝想像力〟や〝共感力〟が皆無に近かったせいか、「どれだけ酷いことをしているか」全く意識に無いようでした。

元々、日用品も合わせて月4万の、生活費の財布も、そのうち渡してくれなくなりました。頼むと、

・恩着せがましく厭味ったらしく屈辱的なことを言いながら渡す

・置いてもないのに、いつもの場所に置いてあると嘘をつき、「そんな意地悪なんかしないよ」とうそぶく

・要るものを言っても、財布を渡さず、安物スーパーで粗悪品を買ってきて、「我がまま」「ゼイタク」「金がかかって困る」と言いつつ出す

そんな生活で、要求すらしなくなりました。

怒鳴られなくても怖くなって

・食事は、作れなくなりました。居ないときでもダメでした。そのころ何を食べていたか余り思い出せませんが、コンビニのおにぎりとゆで卵がメインだったように思います。脱出用のお金をキープしたいなかで、毎日の掛かりがとてもつらかった記憶があります。確かビタミンBとC剤で保たせていたように思います。

・お風呂は、湯船に入れなくなりました。居ないときにシャワーを使うのが精いっぱいでした。それも毎日は無理でした。浴室に水滴が残っていたり、換気扇を回していたりすると、しっかり気づくからです。普段はバカなのに、もろに監視体制でした。

・洗濯は、居ないときを見計らって、こっそりやりました。洗濯をしたのに気づくと、加害者は、夜中に聞こえよがしに怒鳴ってました。水道代だの電気代だの我がままだのゼイタクだのの、例のパターンです。嫌だったけど、とにかくやり過ごしました。

そのころは、なるべく仕事を遅くまでし、最寄りまで帰ってきてもコンビニ等で時間をつぶし、とにかく酔っ払って寝静まるまで待って、帰宅しました。帰宅する際も、外から窓を見上げ、明かりが点いてないのを確認してから、そっと帰ります。朝も自室にこもり、加害者が出掛けるまで、お手洗いにも行かないようにして、顔を合わせるのを避けました。どんな言い掛かりを付けられて、怒鳴られるか、暴力を振るわれるか、わからないからです。

栄養不良は精神を蝕むので

体調不良になるだけでなく

ロクなものを食べていないので、体重はどんどん落ちてゆきました。元々、経済DVのころから、大抵みな喰われてしまい、栄養不良ではあったと思うのですが*2、完全に栄養失調に近くなりました。温かいもの、緑の野菜が食べたくて仕方なかったです。お金を使いたくなかったけれど、意を決してタンメンを食べた日は、ありがたくて嬉しくて泣けました。

頭は働かず、肌も髪もボロボロで、胃腸の調子も悪く、冷え性が酷くなり、関節痛にも悩まされました。あとはよく覚えていませんが、よくまともに生きていたものと思います。時たまの外食で補充していたとはいえ、よく仕事に行けていたなと後で思いました。

栄養不良は鬱を呼ぶ

非常事態なので仕方は無いのですが、滅入ってしまって、滅入ってしまって、参りました。先のことを考えようにも、不安ばかりが先立ち、絶望的な気分にしかなれないのです。何を見ても泣けて泣けて仕方なかったときを過ぎて、そのうち泣けもしなくなりました。焦りだけを抱えてぼんやりしていたように思います。動けなくなるのだけは困ると、気力だけで保たせていました。頭も働かなくなるわけです。栄養不良は、からだだけでなく、脳にも多大な影響を与えます。眠れない食べられないと、簡単に鬱になるのはそのせいです。ストレスは脳を非常に疲れさせるので、眠れないとどんどん疲労が蓄積してゆきます。同じように、栄養が足りないと、脳も働きません。どんどん、どんどん、機能低下してゆくだけでしょう。

あのまま経済DVと生活制限を受け続けていたら、何もまともに考えられなくなり、生ける屍=廃人になって、動けなくなっていたことでしょう。

加害者はここまでの酷い影響など、まるで考えてはいませんが、こうした虐待で鬱に追い込まれ、さらに逃げられなくなって、日々罵倒を浴びせかけられてる被害者も、多数存在するに違いありません。

針のむしろの2か月

3月初旬に暴力を受け、いっぺん逃亡してからお金がなくなって戻り、3月下旬に加害者がまた自己愛憤怒で暴れ(録音にある)、何を言ってもムダだと諦めました。それからは一切の関わりを持たぬよう努めましたが、そのせいで酷いDVがどんどんエスカレートしていったのだと思います。相手にしないのが気に食わなかったのでしょう。もう暴力を振るわれるのも、暴れられるのも、怒鳴られるのも、何もかも嫌でした。下手に出るのも、おべっかを使うのも無理でした。顔を見ると血の気が引いて、震えがくるような状態でした。

その3月上旬から、本当に逃亡できた5月初旬までの約2か月間、年度末・年度初めでもあり、仕事も最も忙しい時期でした。様々な支援を求めて走り回ったり、知人や友人や医療関係者に助けてもらった4月は、本当に地獄のようでした。「一刻も早く逃げろ」というカウンセラーさんと警察のかたの後押しで、取るもの取りあえず、やっと逃げ出せたのがゴールデン・ウィークの直前でした。

 <早く気づいて・早く逃げて>
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*1:嫌だったので鍵をかけていました。その頃は本当に何をされるか皆目わからなかったので。

*2:様々な体調不良の原因は、後になって判った。