早く気づいて・早く逃げて

DVからの脱出の経緯について書いています。

もう出て行きたかったんだな

掘り起こした記録から

記憶がぶっ飛んでいるので
逃亡半年も前のつぶやきから


わたいはお義母さんに写真を全部捨てられた件と
父の葬儀の件が引っかかってて、とても優しくなれないですね。


幼少期のアルバム以外全部を失なったことについて、DVモラハラ加害者はずっと証拠が無いの一点張りだし、
父の葬儀にはDVモラハラ加害者の親も兄弟も香典どころか弔電も寄越さなかったのに、
ヤバいとも思わず、自分で立て替えて出しておくこともせず、
母や弟に詫びの言葉ひとつ思い浮かんでないところが終わってると思いました。


更に東京の義父母さんたちはお金がいっぱいあるのに、葬儀から四十九日から毎度毎度の義理掛けを、「○○○○」(DVモラハラ加害者)の名前で出してるのに、
ゼンブ私のなけなしの貯金と稼ぎから捻出してるんで(数十万ですね)、
私の実家の者たちがどういう感情を抱いているか、考えもしないところが終わってますね。


わたい悩み過ぎて壊れてました。
出て行ける先があれば出て行ったと思います。

20151101
<早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服

しょっちゅう会社を馘になっていたモラ夫

トラウマによる解離だと思うのだけれど
暴力の記憶が飛んでいて

古い記録が掘り出されたので書いておく

どうやら文書で「厳重注意」されたらしい

モラ夫*1は会社で嫌なことがあったらしく、ため息ばかりついている*2。〝イエ〟に仕事のことを持ち込むのはヘタレだと思うのだが、どういうものだろう・・・

根掘り葉掘り聞いてやったほうがいいのか・・*3

どうせ話しにはならないし自業自得

モラ夫は鈍いので、私が眠れないほど悩んでいても、理解できない。

理解できるよう話そうとしても、頭が固いので、「違う違う」と反論ばかりで、相手の立場に立ってモノを考えることができない。
そんなようでは会社でも齟齬をきたすだろうと思ってはいて、今回もまたそんなことだろう。

わかるように粘り強く話していくと、しまいには逆ギレして暴力になる*4ので、この頃はもう諦めている。

会社でもそういうことなら自業自得と思うのだが、本人は受け入れられないだろう。*5

嘘八百で飾り立てた自分語り

それまでに幾つ会社を辞めたのか(辞めされられたのか)は知らない。〝パワハラ〟だとか様々な話しを聞かされたが、今では眉唾ものだと思っている。同居していた前妻の息子からも聞いた。「また会社を馘になった、金の切れ目が縁の切れ目」で前妻が出て行った話しと、「どこに行っても同じことを繰り返して、しまいにはアル中の廃人になるのではないか」と前妻が心配しているという話しを。

※ 註: 現に、私が〝逃亡・脱出〟してから、件の〝文書で厳重注意〟した会社を辞めている(と、SNSに書いているらしいが突然すぎるので、やはり馘だろうと推察している)。

20151101

 <早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服

*1:モラ夫=DVモラハラ夫の略:Twitterお仲間さんで用いている。

*2:これ見よがしの〝構ってちゃん〟風が嫌らしい。何かあるなら口で言え、と思う。

*3:聞いて逆ギレされても困るし、言葉を濁すばかりだったが、これ見よがしに机に文書が置いてあった。

「厳重注意」の内容は、待機時にネットに夢中になり、業務を疎かにしたらしい。〝文書〟になる前に、再三に渡って注意されていたと思うのだが・・

相も変わらず「自分は悪くない」「相手が悪い」根性だから、反省もせずに心証を悪くしたのではないだろうか。

*4:2015年11月1日の記録:手帖にも日記にも、ましてや自分の記憶にも残っていなかった。既に始まっていたのだと、今さらながら新鮮な驚き。

*5:案の定、SNSに世迷言を書いて、心配した知人から連絡が来た。今回、思いがけず掘り出せた記録は、その連絡だったのだ。

最後の正念場

えらいことブログをお休みしている間

リアル空間で闘ってた

逃亡・脱出のきっかけになった事件から2年も経つのに
DVモラハラの後遺症は、まだ続いている

これが最後の正念場だと思う。

具体的なことは、あまり書けないけれども、どんな後遺症が残っているのか、それは精神的なことでも肉体的なことでもなく、経済的なことや生活に直結する物理的なことで、どのように闘ってきて、どのように闘い抜いているのか、少しずつ書いてゆければと思う。

最後の扉は殊の外、重かった

 もう目の前に見えているのに、これで「逃亡・脱出」は完了するのに、なかなかしんどい状況だった。「ここさえ乗り切れれば」と踏ん張ってきた。この闘いを、まとめて書こうとすると、ずいぶん長くなってしまうことに気づき、こうして少しずつ記してゆこうと考えた。物理的にも、記していられる環境ではなかった。キャンプか避難所のような生活だったのだ。

お世話になりっぱなしで

様々なかたがたの世話になり、今もお世話になっている。「こんなにお他人さまにお世話になってもいいものだろうか」と、これまでの人生では考えられなかったことだった。「ひとさまにご迷惑をおかけしてはいけません」と、ずっと教育されてきたからだ。一昨年の行政・法曹関係者・支援団体に始まり、今も友人・知人・ネットお仲間さん・行政のかたがたの支えて生きている。

友のはなむけ

シェルター→ステップハウス→レオパレスと、長かった逃亡・脱出の生活も、最終段階にある。特に移動距離が、350kmと250kmと、殊の外、長かった。もっと遠距離を逃亡なさるかたもいらっしゃるとは思うけれど。

「これでホップ・ステップ・ジャンプが終わります」と言ったら友人が言った。

「脱出じゃないヨ 」「カムバックおめでとう!」嬉しかった。


やっと錨を下ろす。やっと落ち着いた生活を取り戻す。やっと暫定ではない、安住の地を得る。

本当に何も無い生活だけれども、生活は大変だけれども、心は晴れ晴れとしている。

 <早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服

人生が急転直下で

お詫び

ブログ更新の頻度が下がりそうなの

しっちゃかめっちゃかww

生活の立て直しに励んでいる。特に物理面で、いわゆる「巻きが入って」きて、やることだらけになってしまった。これだけ巻きが入れば、あっという間に片づくと思うのだが、というより片づけなくっちゃならないので、しばらくブログ更新の頻度が落ちそうです。ごめんなさいm(_ _)m

 

心理面でも、トラウマ克服も勿論のこととして、自覚することや、短所として気をつけることが色々見えてきた。生活ベースに殊の外影響するので、見切り発車は怖いけど、ぼちぼちいくっきゃない感じ。

 

週一更新くらいはしたい。書くネタはまだまだいっぱいある。お仲間さんとの話しで、次々に発見されたこともある。

年末年始に書き溜めようかと思ってたんだけど、年末年始が最も佳境になってしまいそう。

 <早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服

経済DVの後遺症は

経済DVと生活制限

生活制限も立派なDV

  • 食事制限
  • 入浴制限
  • 洗濯制限

などなど、生活に関わる行動を制限されることを言います。これは虐待です。例えば、

・キッチンで自分の食事を作っていると怒鳴り込んでくる

・入浴していると、洗面所のドアをガンガン蹴りまくる*1

・洗濯をすると、電気代・水道代についてネチネチ文句をつける置き手紙を、毎日のように置いてゆく

・医療費や生活費について、細かくネチネチ言う置き手紙が常にある

DV加害者本人は「節約」の御旗を立て、当然のように要求してきました。内実はずいぶん悲惨なものでしたが、加害者本人は〝想像力〟や〝共感力〟が皆無に近かったせいか、「どれだけ酷いことをしているか」全く意識に無いようでした。

元々、日用品も合わせて月4万の、生活費の財布も、そのうち渡してくれなくなりました。頼むと、

・恩着せがましく厭味ったらしく屈辱的なことを言いながら渡す

・置いてもないのに、いつもの場所に置いてあると嘘をつき、「そんな意地悪なんかしないよ」とうそぶく

・要るものを言っても、財布を渡さず、安物スーパーで粗悪品を買ってきて、「我がまま」「ゼイタク」「金がかかって困る」と言いつつ出す

そんな生活で、要求すらしなくなりました。

怒鳴られなくても怖くなって

・食事は、作れなくなりました。居ないときでもダメでした。そのころ何を食べていたか余り思い出せませんが、コンビニのおにぎりとゆで卵がメインだったように思います。脱出用のお金をキープしたいなかで、毎日の掛かりがとてもつらかった記憶があります。確かビタミンBとC剤で保たせていたように思います。

・お風呂は、湯船に入れなくなりました。居ないときにシャワーを使うのが精いっぱいでした。それも毎日は無理でした。浴室に水滴が残っていたり、換気扇を回していたりすると、しっかり気づくからです。普段はバカなのに、もろに監視体制でした。

・洗濯は、居ないときを見計らって、こっそりやりました。洗濯をしたのに気づくと、加害者は、夜中に聞こえよがしに怒鳴ってました。水道代だの電気代だの我がままだのゼイタクだのの、例のパターンです。嫌だったけど、とにかくやり過ごしました。

そのころは、なるべく仕事を遅くまでし、最寄りまで帰ってきてもコンビニ等で時間をつぶし、とにかく酔っ払って寝静まるまで待って、帰宅しました。帰宅する際も、外から窓を見上げ、明かりが点いてないのを確認してから、そっと帰ります。朝も自室にこもり、加害者が出掛けるまで、お手洗いにも行かないようにして、顔を合わせるのを避けました。どんな言い掛かりを付けられて、怒鳴られるか、暴力を振るわれるか、わからないからです。

栄養不良は精神を蝕むので

体調不良になるだけでなく

ロクなものを食べていないので、体重はどんどん落ちてゆきました。元々、経済DVのころから、大抵みな喰われてしまい、栄養不良ではあったと思うのですが*2、完全に栄養失調に近くなりました。温かいもの、緑の野菜が食べたくて仕方なかったです。お金を使いたくなかったけれど、意を決してタンメンを食べた日は、ありがたくて嬉しくて泣けました。

頭は働かず、肌も髪もボロボロで、胃腸の調子も悪く、冷え性が酷くなり、関節痛にも悩まされました。あとはよく覚えていませんが、よくまともに生きていたものと思います。時たまの外食で補充していたとはいえ、よく仕事に行けていたなと後で思いました。

栄養不良は鬱を呼ぶ

非常事態なので仕方は無いのですが、滅入ってしまって、滅入ってしまって、参りました。先のことを考えようにも、不安ばかりが先立ち、絶望的な気分にしかなれないのです。何を見ても泣けて泣けて仕方なかったときを過ぎて、そのうち泣けもしなくなりました。焦りだけを抱えてぼんやりしていたように思います。動けなくなるのだけは困ると、気力だけで保たせていました。頭も働かなくなるわけです。栄養不良は、からだだけでなく、脳にも多大な影響を与えます。眠れない食べられないと、簡単に鬱になるのはそのせいです。ストレスは脳を非常に疲れさせるので、眠れないとどんどん疲労が蓄積してゆきます。同じように、栄養が足りないと、脳も働きません。どんどん、どんどん、機能低下してゆくだけでしょう。

あのまま経済DVと生活制限を受け続けていたら、何もまともに考えられなくなり、生ける屍=廃人になって、動けなくなっていたことでしょう。

加害者はここまでの酷い影響など、まるで考えてはいませんが、こうした虐待で鬱に追い込まれ、さらに逃げられなくなって、日々罵倒を浴びせかけられてる被害者も、多数存在するに違いありません。

針のむしろの2か月

3月初旬に暴力を受け、いっぺん逃亡してからお金がなくなって戻り、3月下旬に加害者がまた自己愛憤怒で暴れ(録音にある)、何を言ってもムダだと諦めました。それからは一切の関わりを持たぬよう努めましたが、そのせいで酷いDVがどんどんエスカレートしていったのだと思います。相手にしないのが気に食わなかったのでしょう。もう暴力を振るわれるのも、暴れられるのも、怒鳴られるのも、何もかも嫌でした。下手に出るのも、おべっかを使うのも無理でした。顔を見ると血の気が引いて、震えがくるような状態でした。

その3月上旬から、本当に逃亡できた5月初旬までの約2か月間、年度末・年度初めでもあり、仕事も最も忙しい時期でした。様々な支援を求めて走り回ったり、知人や友人や医療関係者に助けてもらった4月は、本当に地獄のようでした。「一刻も早く逃げろ」というカウンセラーさんと警察のかたの後押しで、取るもの取りあえず、やっと逃げ出せたのがゴールデン・ウィークの直前でした。

 <早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服

*1:嫌だったので鍵をかけていました。その頃は本当に何をされるか皆目わからなかったので。

*2:様々な体調不良の原因は、後になって判った。

お金、返して

父への香典も出さず

父は急逝だったので

とるものもとりあえず駆けつけた

お通夜、その次の日の告別式と、慌しく続いた。とるものもとりあえず駆けつけたのもあって、近くのコンビニから下ろせる口座から、香典から何から諸費用を出しておいた。兄弟は喪主、私らは親族筆頭だった。最もメインの位置で、最高の供物を出す立場だった。父の交友関係、弟の仕事関係もあり、華やかな式になった。来客も数百人を数えたろう。香典も供物も何もかも全て、もちろんDVモラハラ夫の名義でだ。

その数十万円を、一円も出さずにバックレた返そうともしなかった、自分の名義で出されたにも関わらず。

奴の名前でなく、私の名前でなら、そんなに出さなくてもいい。親族筆頭の立場に立たなくてもいい。「家と家との付き合い」というものを一切知らないようだった、五十男にもなって。しかも、さらに義父母からも義兄弟からも、香典はおろか弔電さえ来なかったDVモラハラ夫は連絡すらしてなかったのではないか?それとも義父母も義兄弟も揃ってバックレたか・・。どいつもこいつも親が親なら子も子だった。何が一流商社マンだ。冠婚葬祭ひとつできず、息子たちに「お付き合い」も教えず、一流商社マンが聞いてあきれる。

この仕打ちは堪えた。

心情的にも、人間ではないと思った。

物理的にも、この数十万円で、私自身が身動き取れなくなった。なけなしだったのだ。

今も怒りがふつふつと込み上げる。

ただでさえ酷い経済DVで、医者に行く費用にも事欠く生活だったのだ。逃げる資金が全く無くなっただけでなく、今も続く困窮に拍車をかけた。備えが皆無になってしまったのだった。

私の家財道具も

弁護士さんのアドヴァイスで

こういうドケチは

どのツラ下げて、私の持って行った家財道具を、今も平気で使えているのか。

弁護士さんは、こういうドケチは、ひとのものも自分のものもないから、いま使っているものを持って行ったら、ストーカー化して追いかけてくる、と言った。大切にしてきた私のものなのに・・と忸怩たるものがあった。今も慙愧に堪えない。ストーカー化されるよりマシ、という断腸の思いで諦めて、置いて、脱出してきた。追いかけられない私物だけを持って・・。

恥知らず恩知らず ここに極まれり

家財道具も家電もなく、今も続く困窮生活を送っていると、今でもふつふつと怒りが込み上げてくる。〝怒りも口惜しさも手放すのが自分のため〟と理解はしているが、手放す前に、諦め、抑圧してきた感情を開放してやらなければ、抑圧がそのままトラウマとして閉じ込められてしまう。

悪口は美しくない。

けれど私たちは、どこかでこうした感情を開放しないと、先に進めないのだ。

こうしたブログとTwitterを、そのツールとして活用させてもらっている。

 <早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服

お仲間さんとの会話から【まとめ】

DVモラハラあるあるだなあと

Twitterお仲間さんとお話ししていて出てきたこと

ぼちぼち書いてきたののまとめです
konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

konpeki.hatenablog.com

 <早く気づいて・早く逃げて>
#早く気づいて・早く逃げて #DV #モラハラ #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服

大切なものを諦め切れずに

腹いせで捨てられていないか心配で

危険を冒して見に戻った日

奴ならやりかねない

かくまっていただいてからひと月ほど経って、やっとこさココロもカラダも落ち着いてきて、本物の脱出=引っ越しの話しも具体化してきたころ、置いてきた私物がどうしても心配で心配で仕方なくなった。逃亡当初から心配ではあったのだが、奴がやっと警察に捜索願を出しに行き、保護されているという事実を知ってしまった今、怒りの腹いせで捨ててしまうのではないかと思ったのだった。

これまでにも前科がある

無意識・無自覚らしいのだが、だからこそ悪気がない過失だと思ってきたのだが、とんでもない心の闇は勝手に働き、大切なもの大事にしているものほど、壊したり捨てたりする。自覚が無いので始末が悪かった。どうでもいいものは壊されていない、という事実を知ったとき、〝こいつらは無意識で意地悪するのだ〟と空恐ろしくなったものだ。

だから、注意しても頼んでも無駄で、「ミスを責める」と逆に被害者ぶりっ子をして、怒り狂い、終いには暴力に及ぶのだから、やられるこちらは立つ瀬がない。

救いようのない生活だった。それもDVモラハラ野郎だけではない。息子も義母も同じだったから、いま思えば心の休まる暇もない生活だったと思う。

 

使えない友人

〝ひとりで行ってはだめ〟ということで、警察に電話をしてくれた例の友人を頼った。私もひとりでは行きたくなかった。〝同性はだめ〟ということも、警察や支援団体から口が酸っぱくなるほど言われていた。奴らは〝オンナとみると舐めまくる〟のだ。

待ち合わせして、さてと現地に向かうと、「家には入りたくない」と言う。「〝不法侵入〟で奴に訴えられたくない」と言うのだ。

留守なのは確認したし、奴と遭うことは絶対にないし、「私の家に私の友人と行くのだ」と幾ら力説しても肯んじなかった。後でカウンセラさんが、「使えない奴だったね」と言っていたが、男性は得てして逃げ腰になり易いのは、その後も幾例かあった。

 

パニックを起こしていた

後で、「チェックリストを作って行くように言えばよかったね」とカウンセラさんに言われた。ほんの5分か10分、各部屋の棚やクローゼットや押し入れを開けて、見てくるだけだったのに、アタマが真っ白で動顚していた。「パニックを起こしていたんだね」と言われて初めて、〝あれがパニックなのか〟と知った。

※ どれだけ嫌か、傷ついていたかが、よくわかった

よくぞ、あんな部屋に住んでいたものだ。逃亡したからこそ、わかった異常さだった。部屋にいるだけで顔から血の気が引いていくのがわかった。とにかく耐えに耐えて、感じないようにしていたのだろう。もう二度と嫌だという思いを新たにした。

20160705

<早く気づいて・早く逃げて>

#DV #ドメスティックバイオレンス #モラハラ  #DV加害者 #DV被害者 #DV啓発 #トラウマ克服