早く気づいて・早く逃げて

DVモラハラからの脱出の経緯について書いています。

家事をやってもDVモラハラ男

支配を強化するために

家事をするとはいっても

DVで前妻に出て行かれてから数年、前妻に置いていかれた(という)息子を育てながら*1、やもめ暮らしをしていたのだから、ひととおり家事はできた。それが「ひととおり」に過ぎないのは、後々判明する*2*3

 朝のゴミ出しも、弁当づくりも、洗濯も、掃除機がけもすることについて、友人知人は口々にこう言った。

「なかなかいないご主人よ」

「ありがたいわね」

「大事にしなくっちゃね」

「感謝したほうがいいわよ」

家事をしない夫が大多数のなかで、『家事をする』ただそれだけで『いい男』の烙印(?)を押してもらえるのだ。 

そのころの何とも言えぬ違和感を、言語化することはできなかった。

主婦失格の烙印が目的

洗濯を私がすると、洗剤がもったいない、水道代がもったいない、電気代がもったいない、のオンパレードで、うるさくて仕方がない。かと言って、その内訳を見せてくれる訳でもない。やることが荒っぽいので嫌だったのだが、私の分を別にすると「もったいない」がうるさいので、とにかく我慢するしかなかった。ブラウスや下着は『おしゃれ着洗い』の名目をつけて、何とか別にした。衣類が傷むのは本当に嫌だった。

食器洗いも、不潔で仕方なかったのだが、上記の「もったいないシリーズ」の理由で、うるさく言う。何もかも、あまりにうるさいので、「やってくれるのならありがたい」のスタンスで、好きにやらせた*4

「お前は片づけが苦手だ」

「お前は掃除が下手だ」

等々、しょっちゅう言われた。「致命的に不器用な奴に言われたくはない」とは思ったが、「やってもらってるんだから」仕方がないと思っていた。これが巧妙な支配だったとは、後から判る。それまでは『家事をしてくれるのはありがたい』魔法にがんじがらめにされていた。

子どもと同じで何もできない』という形で『究極の被支配者』にされていたのだ。

目からウロコが落ちた

もろ自己愛性人格障害で、酷いDV加害者である義父(DV加害者の実父)も、認知症の義母の面倒をみたり・家事をやったりするのを厭わないようなので、自分のDV被害に気づいていなかった私は、そのことをとても不思議に思っていた。あるとき、『主婦失格の烙印を押す支配』を知って、本当に目からウロコが落ちた。最近また良い記事があったので引用する。 

亭主関白オヤジにとって、妻は自分に従うべき者=「被支配者」である。そういう彼らが妻を介護することは、これまでの支配関係の延長にすぎない。

なぜなら、彼らに介護される妻は、彼らなしではごはんも食べられず、トイレにも行けず、いわば生存を丸ごと彼らに預けざるをえない「究極の被支配者だからだ。その意味で、亭主関白オヤジにとって、妻を介護することは「今までどおり」の関係性なのである。

カラサンティ氏の議論をもとにすると、親の介護や子どもの世話は妻にやらせっぱなしの夫が、妻の介護ならせっせとやる、ということは十分ありえる。妻への支配という意味では、一貫しているからだ。

前者は、自分の家族へのケアを妻に「させる」ことを通して、後者はその妻の生殺与奪権を握ることを通して、妻を自分のコントロール下に置いている点では変わらない、ということだ。

gendai.ismedia.jp

世の中には、家事一切を妻にやらせ、文句ばかり言う、暴君のようなDVモラハラ男が多い。そんななかで、こんなふうに家事をやる男は「まとも」な部類に見えてしまう。長いこと自分の『被虐待状況』を認識できず、被害を自覚できなくて逃げられなかったのは、こうした社会通念も影響しているように思う。そうしたこともあって、DV加害者は「自分はよくできた夫だ」という強固な幻想を持ち続けるし、「被害者は自分だ」という妄想を発信し続けられる『裏付け』に、この家事の件を使える。無意識とはいえ、ずいぶん巧妙な手があったものだ。

後日、判明した話し。

陰で、実家の父母のみならず、親戚縁者ににまで、「家事を全部やってるのは自分だ」と言い張ってたらしい*5。私が知ったのは、ずっと後になってからだったけれど、巧妙に貶めていたのだった。実害は少なかった(だろう)から、幸いだったと思うけれど、評判を随分と落としてくれたものだ。

昔から「バリキャリのくせに家事なんてできるの?」という、ふざけた偏見にばかりさらされてきたので、この程度の酷い評判には免疫ができていたのかもしれないが。

<早く気づいて・早く逃げて>
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*1:殆どケアされておらず、社会性が皆無だった。それこそ犬や猫じゃあるまいし、食事させて寝かせれば子育て、というのではないと思った。特に酷かったのは学習面で、高校生にもなって、勉強での基本がまるでなかった。教科書等を学校の準備する、ノートをとる、予習復習をする、テスト勉強をする、学校からのお知らせを処理する、提出物をきちんと出す、等が全くできていない。よほど小さいころから放ったらかしにされたのだろうと見て取れた。高校生にもなって、それらの基本を植え付けるのは難しい。当の本人にも経験がないので、面倒がって拒否するばかりだ。どういう大人になるんだろうと思った。心の問題が大きいのは、あの親では仕方ないかもしれない。今でも可哀想に思うが、自分の人生を捨ててまで、彼を何とかしてやろうとする選択肢は、私には無かった。

*2:やることが、何もかも表面的で、「やった」という事実だけを重視し、本来の目的を失なっていた。要するに、掃除機をかければ「掃除」で、キレイになっていようがいまいがおかまいなし。食器洗いも同様で、汚れが付いていようがいまいがおかまいなし。洗濯も、洗濯機が回れば「洗濯」で、結果はどうでもよかった。家事の全てがこの調子で、目的をはき違えた酷い結果が、常に非常に苦痛だった。何を言っても、何を頼んでも、「文句ばっかり言う」と、文句ばかり言われた。我慢がならなかった。抑圧で、相当なストレスを溜め、感情を失なって、後々まで苦しむことになった。

*3:私が購入した塩サバを、味噌煮にしたときは、真面目に「こいつバカか」と思ったが、何かの思い違いだと流してしまったのは、返す返すも悔やまれる。立派な「予兆」があったのに、見逃してしまった。

*4:ごはんの領域と自分の身の周りだけ守って、後は明け渡した感じ。

*5:母が、お嫁さんのお父さんから聞かされて、ひどくきまりが悪かったそうな。娘の家事の実力は判ってるから、「そんなはずはないけど」と思ったが、そのときは取り立てて取り上げることなく、流してしまったとのこと。